ちっぽけな花〜美味しいウクライナ !
地元のボランティア活動を通して知り合ったウクライナ避難民の方に拙作「ちっぽけな花」をみてもらいました。戦禍に生きるウクライナの人々をテーマにした作品を見て、どう思うか直接尋ねたのです。すると彼女はこう言いました。「この作品は日本人には訴える力のある作品だ。しかし、ウクライナ人にとって戦争はリアルな毎日の現実で、戦争だけでは辛い。もっとウクライナの良いところ、ポジティブなところを紹介してほしい」
私は真っ先にウクライナ料理が思い浮かびました。それならば40年近く料理写真を撮影してきた経験を生かして、ウクライナの人たちのために何かできないかとこのカレンダープロジェクトを始めたのです。
日本に避難してきた11組のウクライナの方々を取材し、彼らに家庭料理を作ってもらって撮影。レシピをまとめ、デザインを練り、在日ウクライナ大使館の協力も得て「ウクライナ料理チャリティカレンダー2025」を完成させました。
おかげさまでカレンダーは400冊完売し、その売上金はウクライナのチャリティ団体に寄付することができました。ご協力ご支援くださった皆様に心より御礼申し上げます。
また直接避難民の方々から聞いた生の声は、短い取材ではありましたが、戦争とは何かを考えさせられました。ここにシェアしたいと思います。
未だに戦争が続く中、ウクライナの方々は日々苦渋の選択を迫られているのだと思うと、とても心が痛みます。どうか1日でも早く皆さんの真の笑顔を見れる日がやってくることを願ってやみません。
なお、カレンダーは一旦完売終了しておりましたが、ご好評につき増刷いたしました。下記よりお求めいただけます。引き続きご支援ご協力をお願い申し上げます。
展示パネルの紹介
<オレナ・シェウチェンコさん>
このプロジェクトで一番最初に取材したのが、オレナさんでした。お互い言葉も通じない中で、携帯の翻訳アプリを頼りに単純な会話で意思疎通をはかりました。ウクライナで普段どんな料理を食べてきたのか?家族の思い出の料理は?一番好きな料理は?どんな料理を作りたいか?などなど、話しているうちにあれもこれもと出てきて、だんだん何の料理の話をしているのかわからなくなったりして。
<イリーナさんとママのヴェーダさん>
おっとりとした口調で少しはにかみながら話すイリーナさんは、ウクライナの大学で日本語と英語を学びました。以前仕事で来日した時には、TV番組「YOUは何しに日本へ?」の突撃取材を受けたこともあるとか。優しい華やかな雰囲気があります。
<ナタリー・ネステロバさん>
ナタリーさんの住まいは、横浜の瀟洒なマンションでした。数年前に夫の仕事に合わせて来日し、戦争が始まった際にお義母さまが避難してきました。
<テティアナ・グズィックさん>
クリミア出身のジャーナリストとして活躍していたテティアナさん。私のアンケートに答えてくれました。ここでその一部を紹介します。
ジャーナリストであるテティアナさんに、より踏み込んだ質問をしたところ、次のように答えてくれました。
<イエヴヘニヤ・デグティアレンコさん>
ある時、町内会のボランティアに参加してフードバンクのお手伝いをしていたら、そこにウクライナから避難してきたイエヴヘニヤさんが食料をもらいに来ていました。私は声をかけて自宅に招き、作品「ちっぽけな花」を見てもらいました。すると彼女は言いました。「これは日本人に訴える作品だと思う。でもウクライナ人にとっては戦争は見たくなくても毎日直面する辛い現実なの。だから、戦争ではなくもっとウクライナの良いところ、素晴らしいところを紹介して欲しい」
<リュボヴ・ベルナツカさん>
リュボヴさんは、去年の7月に日本へ避難してきました。私が取材に伺うと、娘のジュリアさんと共に料理の準備をしてました。その姿は日本でもよく見るようなごく普通のお母さん。地味な格好をした彼女は、都営住宅の1畳ほどのキッチンで手際よく料理3品とドリンク1つを作ってくれました。どれも「あ~美味しいなぁ」と思えるものばかりでした。
<インナ・イリナさん>
去年の秋、私は自分の作品を見てもらいに初めてウクライナ大使館を訪ねました。その時対応してくださったのが三等書記官のインナさんでした。彼女は私の作品を見て展覧会をしましょうと言ってくださり、それからほぼ毎月大使館に通って打ち合わせをしました。
<テティアナさんとミコラさん>
姫路市に住む二人を訪ねると、がらんとした部屋にノートパソコンと数個の段ボールが置かれ、明るい日差しが差し込んでいました。二人は優しく静かに日本語を話し、とても落ち着いて見えました。ささやかな事に小さく喜ぶさまは可愛らしくさえ思え、彼らが作る料理は素朴でどこか懐かしい味わいでした。
<カテリーナさんとママのマリアさん>
カテリーナさんは来日して18年、ウクライナの民族楽器バンドゥーラ奏者として活躍しています。戦争が始まった当時、70歳になる母マリアさんはキーウで一人暮らしをしてました。自宅から15分のところにミサイルが落ち、慌ててリビウ行きの満員電車に乗ったそうです。10数時間立ちっぱなし、リビウに着いてからも国境を越えるのに24時間夜通し歩き続け、羽田では車椅子で出てきたといいます。
<PNO法人 日本ウクライナ文化協会 JUCA>_名古屋市
2023年12月、名古屋で活動されてるJUCAに取材に行きました。訪ねたのは、避難民の人たちが月に1度、飲食店を間借りして実施しているウクライナランチ。ちょうどクリスマスの時期で、伝統的な慣わしに沿ったランチメニューでした。私はボルシチとよく一緒に食べるパンプーシュカというパンを撮らせていただきました。
<PNO法人 日本ウクライナ友好協会 KRAIANY>_東京都
ウクライナカフェ・クラヤヌィ」で通訳をしてくださったオレナさんの話を記します。
「モスクワに2年住んでいた事があり、多くの友人がいました。しかし、戦争が始まってから安否を気遣う連絡をくれたのはたった一人でした。自転車でクリミアを旅して回った親友からは、2014年にクリミアがロシアに併合された時、良かったね!と言われて言葉を失いました。多くのウクライナ人が殺されているのにどこが良かったのか!と問うと逆ギレされたのです。
ウクライナ料理チャリティーカレンダー2025 寄付のご報告
この度はチャリティーカレンダープロジェクトにおいてご協力いただきありがとうございました。
合計販売部数:400冊
寄付金額:890,000円
詳細は収支報告書をご覧ください。